もどる

2016年8月18日(木)
71回目の敗戦記念日に寄せて

 「滅私奉公」は、戦中に国民一般に流布された言葉だ。学校で、新聞で、工場で、軍隊で。天皇陛下の為に身を捧げて死ぬことは、栄誉あることだと喧伝された。「海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍 大君の辺にこそ死なめ 帰りみはせず」である。

 このようにして、多くの国民は、その一人一人の意思に反していようがいまいが国から強制されて働かされ、はては殺されて名誉の戦死ということで靖国神社に祀られたのである。そして、この戦争は、近隣諸国を犯し、全く無残な結果になった。勝っていれば良かったというのではない。勝っていれば、もっとひどい世の中が続いたに違いない。もっと早く止めるべきが出来なかった。

 靖国神社の祭神を、英霊などと呼ぶことには躊躇する。祭神本人さえ、異議を唱えているのではなかろうか。戦後、天皇陛下は人間宣言をされた。戦中でも天皇が神だと本当に思っている人など少なかったが、自分の思っていることを口に出して言うことは相当の覚悟と勇気が必要だった。私は小学生の頃、教科書に書いてある天孫降臨の話を読んで、そんな天から人が降ってくるような神などいるものかと思い父に聞いたことがあるが、大人になれば判ると言いにくそうにしていたのを思い出す。多くの人が口をつぐみ、ひそひそ話はするが、表立っては恐怖と保身のために、はたまた栄進のために多勢に迎合することが常識となって社会の方向性が決まって行ったのである。

 戦後、日本では平和が続いてきた。世界の色々な変動の中にあって、このことが実現しているのは、国内において前記の過去の事実に対する国民一人一人の深い反省の同意があって、その過ちを繰り返さないための努力をしてきたということが、大きな原因だと思う。単純に、過去の戦争の犠牲者の御陰で今日の平和があるということではない。

 現行憲法の、自由・人権・平和 の三原則は、日本が今後も護り、引き継いで行くべき資産と言うべきものに成っている。

 現行憲法では、天皇の地位は明治憲法の専制天皇から象徴天皇になった。ここにきて、平成天皇は、自らの身を投じてその地位を生前退位したい旨国民に訴えられた。天皇は政治に関与してはならないが、個人としての人権が守られなければならないと思う。天皇は特別の存在であり国民ではないのだから、国民にたいする「滅私奉公」は当然だ、というような乱暴な議論に組みするべきではない。いまだに過去の日本の侵略戦争を素直に認めたくない「天皇教原理主義者」とも言うべき連中に、一石を投じたい。日常煩わしい元号の表示、君が代斉唱の法制化などゆるりと取り除くことにしたい。女性天皇の出現などもいいことではないか。

2016年6月18日(土)
いよいよ参議院選挙になった。
 戦後レジュームからの脱却と称して戦前の美しい日本をめざして憲法改訂を押し進めようとしている安倍首相は、ここに来て「新しい判断」として、前から約束していた消費税UPの時期を遅らせる事をきめた。
 私は、これを残念に思う。折角みんなが諸費税UPを仕方がないなあと思っている時に、目先の選挙に勝つ為に今景気の腰を折るわけにはいかないと思ったにちがいない。
 消費税は、「逆進性」があると言われているが、それは個々の人にとって、商品に掛ける税率が一定であるから、定額所得者にとっては痛いと云う事だと思う。誰でも税は安い方がよい、と思うが、しかし、税率と税額とは違う。
 高額所得者は、低額所得者に比べて普通に考えて商品の購入額は多いにだろうから、同じ税率でも税の納入額は多いだろう。そう考えれば、「国が適正に消費税を福祉や民生に支出する限り、」社会の富の配分を望ましい方向に是正する働きをするものだと思う。
 そうであれば、消費税率の高いことは、一概に悪いことではない。所得税の累進課税と裏腹の関係であり、富の滴り理論を肯定する立場からも自然な納得が出来る話であろう。
2016年2月8日(月)
天皇の軍隊創設に反対する。

 今の自民党の憲法草案によれば、自衛隊を廃して「天皇の軍隊]を創設する、これが自民党の年来の目標だと言っている。
 そして、国民の自由は公共の福祉に反しない限りにおいて保証する、言っている。
 これでは、昔の明治憲法と同じになってしまう。
 私はこれには真正面から反対だ。
 七月の参議院選挙にこの勢力が2/3を占めることにでもなれば、前から言っていたことだからと言って憲法改訂の発議をするにちがいない。
 なんとしても、このようなことにならないようにしなければならない。
 このような美し国はごめんだ。

2016年1月1日(金)
明けましておめでとう といいたいが

明けましておめでとう といいたいが、一昨年から始まっている猫だましのような政治の動きを見れば、今年ははよほどの覚悟で国民一人一人が自分の考えをしっかり持って政治に対処することが必要であり、うかうかしていられない大切な年である。
一億総活躍社会の実現などという出来もしない幻想にまどわされて、安保法制の進展から憲法改訂に至る筋書きに乗らないように、立憲政治、民主主義を実践しなければならない。

2015年9月23日(水)
嘆いてばかりはいられない。
安保法 強行採決 成立す
彼岸花咲く いつか来た道
2015年8月24日(月)
もう、いい加減にやめろ

「法的安定性などどうでもよい」と言い放ったった首相秘書官がいるかと思えば、「戦争に行くのはは嫌だ,というのは利己主義だ」と言って、安保法案の成立によいしょをしたように思っている自民党の議員がいる。この議員は党を離党したが、それをすんなり認めた自民党である。これらの発言は、自民党の本音を言っているのである。
「もう、いい加減にやめろ」と言っても「選挙で選ばれている」と云うだろう。民主主義の危機である。
黙ってはいられない。憲法を踏みにじる法案を通そうとする政権に対して、今こそ冷静に声を上げて訴えることが必要だ。
戦後70年、積み上げて来た結果が、集団的自衛件の容認だとすれば、あまりにも悲しい、恐ろしい話である。

2015年7月17日(金)
日本国憲法は危篤になった。

安倍内閣が今国会にだしているへいわ安保ほうあんは衆院で国民の理解が得られていないと言いながらも強行採決された。
参議院では、60日ルールとかで決定しようと云うことだ。
憲法違反の法律を憲法の規定でとうそうというのだから、国民をバカにしている。
権謀術索、決めればよい、と言うようなことだ。
日本国内の過去の日本の世界に対する行為を悪かったと素直にいえず、むしろ自虐史観だと攻撃していながら、「深刻な反省」などと言ってみても、信用する事はできない。このような政治家は早くやめてもらいたい。

2015年5月23日(土)
平和と戦争

安倍晋三首相は、本当は勇気の無い人だと思う。
それが、本気である。本気だから困るのである。
「一度、人を殺してみたかった」と言って、本当に殺しやつがいる。それがその人の本気なのだ。
自分というものを見直し、謝る勇気を持たない人間なのだ。これに気づく必要がある。
説明責任があり、丁寧に説明すると言われても、もともと説明の出来る問題ではないのだ。
平和のために戦争の備えをすると云うのである。備えだけでなく、本当の戦争になることは、さきの「八紘一宇」と言って侵略した歴史を見れば自明である。
侵略の定義は無いと言い、自らの非を認めない強盗犯人の居直りのような未来志向をいくら聞かされても、その被害者からすれば納得のいくものでないことは明らかである。
さて、日本人はどうすべきか?
日本人よ、強くあれ!

2015年2月19日(木)
この頃思うこと。

政治家は、良い格好するな。
自身の行動や、発言が、どれだけおおくの人の幸せや不幸を世界にもたらすものか、よく考えてもらいたい。
自分で乗り込んでいって、直接交渉しょうなんて、考えた事があるのか?そんなことをしても仕方がないことはわかっているが、すぐに自衛隊の皆さんに、と言い出す。
戦後最大の改革というが、それを言うならば、日本は天皇制をやめて、大統領制にする、ぐらいのことを言ったらどうだ。

2015年1月19日(月)
神と言うもの

人それぞれに人生観があるが、神によって慰められ、救われ、勇気ずけられ安心感を得ることがあると思う・
しかし統治者が、そのためにこれを利用すれば、悲惨なことになるのである。歴史はこのことを繰り返して来た。
神は、人を作ったかもしれないが、人が神を作ったのである。
私は、生かされているが、だから神によって殺されたくもないし人を殺したくもない。
今、パリで、世界で起きていることは、全く恐ろしい。人類の自滅に通じるかも知れない。
戦前、日本は「神の国だ」「八煌一紆」と言って、近隣を侵略し、敗れた。多数の人が殺し殺された。
「天皇は、神聖にして侵すべからず。」と憲法にかいてあってこれで国民同士を強制した。
このような事が再びあってはならない。戦後70年の今年、政治家が示威のために靖国神社に参らないことを本当に祈っている。

2015年1月2日(金)
2015 税制改訂に思う。

明けましておめでとうございます。
と、言いたい処だが、待てよ、2015年の税制改訂は、富裕層に減税するというおめでたい話である。
これではますます貧富の差が開くにちがいない。それを是正するような賃上げや、保障が行われるだろうか?
全国津々浦々、それは期待できない。貧富の差が大きければ、兵隊になる人間が多くなることを、権力者は狙っているのではないか、と思わせる。
今年は、一層大変な年になりそうな予感がする。
新年参賀の列をみてほくそ笑んでるやつがいる。

*戦後70年、自虐史観を排斥して勇気ある反省をせず、再び過ちを繰りかさないよう、切に望む。(*以下は5日に追加)

2014年12月22日(月)
さあ、これからだ。選挙制度を改めよう。

選挙結果は、自民ー公明連合が勝利した。
アベノミクスの逡巡のなかの、選挙民の選択である。
と言っても、投票率が低い。
しかし、これは常識的に言って当然の結果だ。
選挙民は、アベノミクスに曝されており、船から降りることは出来ない。
結果が降りかかってくるのであるからうまく行くことを期待しなければならない、と言うことだ。
しかしどうも納得がいかない、棄権しておけ、となるのである。
民意と当選者のわりふりが、どうも乖離している。
一票の格差なんてものでない、小選挙区制の横暴は是非改める必要がある。全国一区にして、比例代表だけにすればよいのだ。

2014年11月28日(金)
アベノミクス解散でアベノリスクを解消しよう。集団的自衛権ダメよ、ダメダメ

阿倍首相は、議会を解散した。
これは、開き直り、失敗隠し、深謀遠虜による彼の野望達成の為である。
その先はどこにあるかを見据えて、選挙で行動しなければならない。
それにしては、性急な話である。そこが、彼の戦法なのだ。
本当に困ったものだ。なんとかしなければ。

2014年7月3日(木)
憲法を守ろう

 憲法を守ろう。
 憲法は、書いてある事をどのように読むか、と言うことが重要なのではない。
そのまま読むことが、必要なのだ。
 ましてや、解釈改憲ともいうべき解釈によって、まるで正反対の集団的自衛権まで行使が許されると言うのは、全く詭弁である。

 総理大臣自らがそう言っているのである。
 日本と言う国が、クーデターに遭遇したに等しい。
 関連する法整備の議論をつうじて、安易な妥協によって動かされることがないよう日本国民の真に平和を求める気持ちを世界に示して行かなければならない。
 来るべき総選挙には、政権がどんでん返しになるよう、一人一人が思いを凝らし、声を上げなければ、先の大戦の英霊や、多数の犠牲者は浮かばれない。

2014年4月13日(日)
恐ろしい ドラえもん映画

 最近作られたドラえもんの映画を見た。
 孫がアメリカから帰って来て、その母が連れてきたので、久しぶりに一緒に見た。
 正直に言って、ドラえもんも種切れになったなと思った。
タケコプター、どこでもドアなど、実現は不可能かもしれないが、子供らしく自由な発想が楽しく、友達や家庭の人間関係もあって、世の中を押し進める明るい話で近親感があった。
 でも、この新しい映画は違う。不気味である。はっきりそうと言わないだけに、おそろしい。映画の作者も気づいてないのかも知れない。世の中の動きとはこういうものかと思わせる。
 たかがアニメとは言っていられない。子供も、大人もみる、人気アニメなのである。
 物語は、アフリカの奥地にある神殿の探検である。ドラえもん一行はそこへ行って、王子と姫を助け、帝国を再建する話である。
 問題は、従来の帝国の権力者が神の支持を得ていて、それが正当な国の支配者であることに、何の疑問も抱かず、それに躊躇なく味方してチャンバラまでやってしまう粗雑さである。
 そのうえ、タイムマシンまで取り出して未来の自分まで応援させるのは、一つのアニメとしての工夫ではあろうが、なさけない。
日本の、神代から持っている征服者としてのDNAが、無意識に働いているのではないか?
 教育改革とかなんとか言って世の中騒がしいが、このアニメの中の無意識な静けさは怖い。

2014年3月22日(土)
今日時評

アメリカに さとされ やんちゃ 12歳
靖国の 神の利用の ばちあたり

2014年1月2日(木)
国を守ること

2013年は、いろいろ災害の多い年だった。台風、豪雨、竜巻、炎暑、寒冷、などの自然災害の他に、特定秘密保護法の成立や、増税、減税などの人意的先いき不安要素がでてきた。
しかしこれらの中でも、一番の不安をもたらすものは、年末突然(でもないか)出てきた首相の靖国神社参拝である。
私は、今年数えで85歳と言う高齢者になり、自分でも驚いているが、この先やるべき事があるとすれば、世の中が平和に向かうことに努力することではないかと思っている。積極的平和主義などという言葉に騙されてはならないとおもっている。
国の為に犠牲になった人々に、尊崇の念を持ってお祀りすることは、一国の指導者として、当然の事だと言っているが、先の大戦で戦争に国民を駆り立てた連中を祀っている靖国神社なのである。
私の体験から言うと、当時は国を守ることは天皇を守ることだと教え込まれた。天皇を守るために死ねといわれた。その死は、最高の栄誉である、というものであった。
国は、そこに住む人々のものであり、その意志によって動かされるべきだとする民主主義とは程遠いものだったことは明らかである。なにしろ、天皇さえ安泰ならば、国は安泰なのだと云うのだから???
これから、本当に大変な時代になるかもしれない。アベノミクスに良い気になって、そうだそうだと言っていれば、安泰でいられると考えている政治家ども、引っ込め!!!

2013年6月3日(月)
歴史

歴史は誰がきめるのか?
学者ではない。
そんなに古い事ではない。考古学は必要ない。
尊皇派の政治屋ではない。
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ないない。

事実が此処にあるではないか。
私が青瓢箪の少年の頃、
唄われた歌を思い出す。

「僕らが大きくなった時、
 日本も大きくなっている
 お国の為に、お国の為に戦った
 兵隊さんの御陰です、
 お国の為に、お国の為に戦った
 兵隊さんの御蔭です。
 兵隊さんよ有難う、
 兵隊さんよ有難う。」
「海行かば 水漬く屍
 山行かば 草蒸す屍
 大君の辺にこそ死なめ
 反り見はせじ」

そんな文章は、政府の記録にない、と言うの?(この1行は6月5日に追加した。)

2013年5月19日(日)
天皇陛下万歳

5月19日のたかじんの「そこまで言って委員会」をみた。
安倍総理大臣が憲法改正を言い出してから、ここに来て改憲派の発言がにわかに活発になった。マスコミも、これに応じてはやし立てたいような様子を見せている。
しかし、ことは憲法の問題である。誰かの尻馬に乗って、うろちょろすることは避けたい。
いまの改憲派の主力は、一言でいえば旧体制への回帰である。
それは天皇を君主としてたてまつり、国民はその下に一体となって国をもりあげる、というような理想郷を描いているのである。
先日政府主催で天皇も出席して行われた主権回復の日の催しには、天皇陛下万歳が叫ばれたと言う。万歳を叫ぶことで自分が日本国民として一体感を持ち、安定感を共にして満足しているのである。
しかしこのような満足に浸っている間はまだ良い、これが憲法で規定された行為になるならば、そのうち必ず「天皇陛下の御為に」などといって国民を動かす奴が必ず出てくる。国民も、「天皇の御為か」と言って「長いものにはまかれろ」となったら、これは戦前の日本の再来である。
国際社会の肘鉄を「いらぬおせっかい」と切って捨てる「お山の大将僕一人」のような日本にしてはならない。
今の政治家に信用がおけない。だから私は憲法を換えるべきではないと思っている。折角換えるのならば、いっそうのこと、「大統領制にしょう」と提示
するような奴はいないものか。

2013年4月26日(金)
戦死ということ

靖国神社の祭りに、多くの国会議員が参拝した。
勿論、閣僚も参拝するのがいて、折から中国、韓国からのパッシングを受けている。それが目的の人も居るかも知れない。とかく話題になりたい人たちなのだからーー
しかし、この問題は、そんな呑気なものではない。まさに、日本の将来がかかっていると同時に日本人自身がその去就をきめねばならない問題なのだ。
「日本の国のために亡くなった人々に、日本の国会議員が靖国神社に参拝するのは当然の事、とやかく言うのは理解が出来ない」と参拝した議員は言っている。しかし、これを理解出来ないような人は、議員などになるな、と言いたい。
さきの大戦での戦死というのは、国のために尊い命を落とした人々だが、英霊ととして祭り上げればよいのだろうか。
大多数は国のために国によって殺された人々なのである。彼らは私たちと同様に、家庭を持ち、または希望に満ちた青春を送っていたが、日本の国の野望によって一銭5厘の赤紙(召集令状)で戦場に引っ張り出され、人殺しをやらされ、自分も死なねばならなかったのである。
全く哀悼の念を込めて祈る他ないが、靖国神社に参拝している国会議員には国が間違ったことをしたという悔恨の情は見えない。むしろ、自分は自分の意志でここに来て、だれの脅しにも屈しない、国を引っ張っているのだ、、というような高揚感に浸っているのである。
戦争中は、国民は天皇陛下のために死ねと言われたことを、私は忘れない。

2013年4月5日(金)
恐れ多くも賢くも(ひそひそ話)

昔、(戦前は)恐れ多くも賢くも といえば、次に来るのは天皇陛下の話であり、直立不動の姿勢で聞くことを強制された。話すのは校長先生であったり、配属将校(軍人)だった。
校長先生も軍人も、日本国民である。聞く方も日本国民なのだが、平等でない。上御一人を奉って、国民みんなが大御心(おおみごころ)を帯して翼賛すべきことを強制されたのである。
今、明治憲法から新憲法に変わって天皇は象徴天皇ということになった。
しかし、天皇一人を別者にして、特別扱いにしておいて国民は皆平等の権利を持つと言われても論理矛盾があることは避けられない。だけど、以前の大権を持った天皇と比べれば、全然違う。まあ、これでいいや、と国民多くが良識を持って妥協しているのが現行憲法の天皇である。
社会の安寧のために、天皇は言われぬ苦労があると思う。正義を振り回し、そのためには人殺しをしてもよいと言うような、自分の属する集団に忠誠を示す奴もいて、戦後においても長崎市長は天皇に戦争責任がある、と公言して殺された事実もある。そして、ひがみかもしれないがそれ以後、天皇の戦争責任が云々されることが少なくなったように思われ、また靖国神社奉賛の運動が盛んになり、君が代斉唱が強制されるようになった。
こんなことになってくると、みんなが自由に喋れなくなってくるのでは、と警戒し合うことが、事態を一層進めることになることを危惧する。
憲法96条の改訂には反対する。経済で目くらましを食わされないようにしょう。
(以下、4月12日追記)
日本は軍事大国になるべきだなどと言っている党首などに到底ついて行っては駄目だ。

2013年3月31日(日)
花は咲いたが、頭は痛い。憲法96条の改訂には反対する。
アベノミクスとか言って、現在のところ内閣支持率は高いそうだが、もし失敗すれば我々は一番痛い目に遭うことはわかっている。だから嫌でも付いて行かねばならないというジレンマがある。
その上、憲法96条を改訂するという。どう変えるかを決める前に、決め方の方法を変えようというんだ。小選挙区で味をしめたのでこれが良いと思っているのだ。
なぜ憲法改訂の発議が2/3以上と決めているのかしっかり考える必要がある。
憲法九条を変え、国防軍を作り、天皇を元首にして、戦前の日本に戻そうというのか。自主憲法をというが、日本は戦争に負けたおかげで良い国になったと私は思っている。
敗北主義と言われようが、あの戦争に負けていなければ、このように平和な、物言いのできる国にはなっていないと思う。農地改革など到底出来ていないにちがいない。押し付けられた憲法だというが、
良いものは良いんである。これを如何に守っていくかを世界がみている。維新が言い出しているような暴論には反対だ
2012年12月24日(月)
選挙は終わった

 選挙はおわった。自民党が政権を摂ることになった。
 民主主義の下で、結果が出たのだから、仕方がないが、そのように言っていられるのがいつまで続くか、心配である。
 野田首相はまけた。さぞかし残念な事だろう。しかし、民主党もひどかった。党内、誰も彼もすきなことを言っていたのである。これではある面、仕方がない。
 しかし、この選挙結果と投票数の乖離はどうだ。首をかしげざるをえない。
国会議員の選挙は全国区一本にすべきだ、と言ってもなかなかそのようにはならないだろうが、将来WEB選挙などを取り入れてなんとかそのようにすべきと思うのは私一人ではないのではないか?
 ともかく、憲法改訂要件の2/3から1/2への改訂(憲法96条の改訂)は阻止しなければならない。

2012年12月8日(土)
暴走老人のゲームに付き合うな

 暴走老人のゲームに付き合って、お互いに不幸になることはやめよう。
 とうとう総選挙戦に突入した。暴走老人は、最近では日本も核武装をすべきだといっている。自民党も、憲法を改訂して」自衛隊を国防軍にするといっ ている。憲法九条をやめたいと云うのだ。
 自民党は、東日本大震災が起こったとき、当時の菅総理からのこの際閣内に入って一緒にやってくれ、という要請をうけたとき、一緒にやらなかった。おそらく、この災害が当時これほど重大なものだったとは認識していなかったのではないか?その後も、口を開けばスカラカンの菅を繰り返していたのだ。
 しかし、現在、マスコミの世論調査は、自公で過半数になるとはやしたてている。
 メルヘンの笛吹きのはなしのように、踊らされては日本は取り返しがつかなくなる。
 [野田首相頑張って] といいたい。

2012年11月18日(日)
自分党

 さきに老害の現象について書いた。
 それから数日して、野田首相の素晴らしい迫力ある決断があった。それまで、やめろ、やめろとしかいう能のない連中が、びっくりした形だ。
 いわゆる第3極のなかに、小異をすてて大同につくべきだと言って、老害の本人の党太陽の党ができた。これは東日本大震災が起こったときに言って欲しかったが、そのときは天罰だと言っていた。
 ところで太陽の党が出来たとおもったら、減税日本が吸収された。ところが、維新の会というのが、人気に乗ろうとしゃしゃり出て、太陽の党を吸収してしまった。
 これを見て、何でも良いから強そうなものに付いて行こうという人間がうろちょろしている。
 前後を顧みず尖閣の購入に走った人は、自分が代表になれるということで太陽の党をすぐに解党してしまった。減税日本に馬鹿をみさせ、自分党の面目躍如である。時期が来たら若い人に引き継ぐと言っているが、維新の会の人気にも乗ろうということだ。
 これらは、過去から未来に至る日本と世界に対する展望がない話だ。如何にして日本と世界の平和を確保するかということに対して、現行憲法を廃棄して昔の天皇を戴くというのは、あまりにもがさつな考えである。
 戦争がしたいのである。この人たちは戦争による悲惨さ、災害を知らないのではないか。知っていても、真面目に考えようとしていない。平和馬鹿と言われても良い、彼らに政権を渡すことなど、とてもできない。
 ここにくると、野田首相が極端な風潮を憂えると言ったことは納得できる。日本国民は、選挙を通じて、好戦的でなく、積極的に平和を望んでいるのだということを世界に示したい。

2012年11月3日(土)
老害

 前回の日記からだいぶ日が経ってしまった。こうなれば、もはや日記とわ言えない。随意に書くから随筆と言いたいが、それほどまとまってはいないので随筆とまではいえない。やはり、”ひとりごと”である。
 ところでこの頃の日本はどうだ。去年3月の震災以来、良いことがない。IPS細胞のノーベル賞ぐらいなものだ。素晴らしい事だが、しかし、これはこれでまた、人類の未来に原爆の開発以上の大問題を提起するものであることに留意が必要だ。
 それはそれとして、今言いたいのは老害の問題である。東京都知事だあった人が、尖閣を東京が購入するとして中国との問題に引き金を引いた。日本の領土を日本が守って何が悪い、という事だ。そのとうりだが、時期が悪い、世界の現況を見ていない。今それを世界に向かって言うべき時なのか?
 折角次代を引き継ぐ世代に問題を先送りしようとした先代の知恵を、更迭された中国大使の懸念もむなしく、気負う政治家一人のために現実結果ひどいことになり、多くの国民にさらなる困難を加えることになった。
 中国でのデモを是とするのではないが、根底には日本が過去において行った行為に対する心からの反省を欠いている結果なのである。
 その上、個人的事情がある。高齢に加えて息子への差し障りもなくなったと思えるが、政治家は国家社会、国民の為と言いながら自分のことしか考ず、俺が俺がで行動している。このような最後のご奉公に付き合わされてはかなわない。文学や芸術でなら、なにをしても許されるべきだが、その見境もつかない様ではこまる。
 老害である。
 老人は、若者を叱咤するまえに、雅量を持たねばならぬ。

 国民は、この時期に現実を忘れて互恵を互損に変えた前後を顧みない暴走族の震太郎を、のさばらせてはならない。
 

2011年6月16日(木)
菅さん、がんばれ!

 ここまでくれば、菅さん、がんばって!と言いたくなる。
 菅さんさえいなくなれば、すべてがうまく行くようなことを、特に自民党が云っている。公明党までが、すけべ心を出していうのだから、なさけなくて聞いていられない国会論戦である。
 その上、ぺてん師がぺてんをあげへつらっている。一体、どうなっているのか?
 なおのこと、よく分からないのは、民主党なのに、菅さん、はやくやめろ、という人がいることだ。いったい誰が菅さんを首相に推挙したのか?ということだ。大騒ぎをさせておいて、不信任案が通りにくいと見るや棄権したなどというのは、その後の自分の事を考えた結果としか考えられない。
 この非常時に、みんなが盛りたてて、やろうとしないのが、実力ある政治家なのか!次に来る利権をねらってのことか?
 菅さん、頑張ってくれ! と云わざるを得ない。

2011年6月2日(木)
しょうもないことはやめてくれ。

 しばらくWeb日記を放っておいた間に、日本はえらいことになった。
 3月11日の東日本大震災、それに伴う津波と原発事故の発生と継続である。
 一体、なにを考えているのか。菅首相が気にくわないからやめろ、と言っているが、それならどのようにしたら、よいか、菅はスッカラカンの管だというだけで、議論にもならない。これでは、国会議員をやめろ、歳費を返せ、と云わねばなるまい。またそれに、よいかげんなことをして堵っ懸けひっかけやめた首相連中や、其の共犯者までが、この非常時に同じことをやっている。
 まさしく政界は原子炉と同じようにメルトダウン状態である。ここまで政治家が堕落しているとは思ってなかった。それでいて、美しい日本とか、伝統ある日本とか、とかく戦前の日本にもどしたいような抜け目のない連中に付き合わされるのは、御免だ。
 日本の群衆は耐え忍ぶ、おとなしい、と思うが、それをよいことにして、日本を潰すのは、やめてくれ。

2010年11月24日(水)
人間はどこまで馬鹿なのか!

 北朝鮮による韓国に対する砲撃、将軍様に対する忠節を誇示したい連中によるものなのか、後継者に箔をつけるためなのかは分からないが、国民、他国民ともはた迷惑なことである。
 日本はいまこそ憲法九条を押し立てて世界に打って出る時だ。永い忍耐と精神のありかたが問われる。

2010年10月12日(火)
日本の法律に則って粛粛と。

 日本の法律に則って粛々と、と大臣が云ったが、中国が強硬な措置をとると、日本は縮縮としてしまった。 尖閣諸島で起きた領海侵犯事件である。
 それにしても、中国が矢つぎ早やにとった措置は、大人げないが、日本の対応も又、もう少し筋を通せないものか。
 武士は食わずも高楊枝ということもある。すぐに経済に結びつけて 大変だ、と成るのは情けない。
 そんなことは、日本人なら誰でもが思っている、と思う。耐え難きを耐え、忍び難きを耐えるとはこういう事だ。戦前、戦中に日本が中国に対してしたことを思えば、中国の反応も分からないでもない。
 中国はまともに付き合えない国だ、というような事を云った大臣がいるが、全くいただけない。歴史的、地理的、人間的関係からいって、どうしてもますます友好的に暮らしていかねばならないのは明らかな事だ。

 話はかわるが、この9月下旬、ドイツに旅行してきました。ロマンチック街道からウイーンまで、本当にその美しさに圧倒されてきました。最終日は、楽友協会黄金の間でモーツアルトとヨハンシュトラウスの演奏会がありました。(写真)
 関西空港からJRに乗って家に帰ってきましたが、JRの窓から見る景色にはガッカリしました。とても、「美しい日本」 などと云えたものではないと思いました。

2010年10月12日(火)
日本の法律に則って粛々と。
2010年8月6日(金)
8月6日

 今年も、8月6日がきた。
 今年の原爆慰霊祭には、国連事務総長、アメリカ大使も参列」するという。オバマ大統領の方針が動き出していることがわかる。
 日本は、世界で唯一の被爆国である。だから、原水爆の禁止を世界に訴えていく責務がある。継続して発展させねばならない。
 アメリカに、原爆投下の謝罪を求めるべきだ、という議論がある。しかし、私はそうは思わない。その理由は、アメリカが原爆投下を正当化する理由」としてあげている「それで戦争が早く終わったのだ。」という主張が、単なる鉄面皮な言い訳だけだとはかならずしも受け取れないものだと思うからだ。何よりも、当時の天皇教の狂暴な言動、振る舞い(天皇は現人神だ。国にために死ぬ事は、名誉なことだ、など)を知るものにとっては、全部が当たっていないとは言えないと思うのだ。
 なにしろ、原爆が使われたら世界は滅びる。なんとか原爆禁止の実現に向けて歩まねばならない。

2010年7月4日(日)
選挙におもう。

 参議院選挙の期間中であるが、一番気にかかることは、民主党が議員定数を減らす法案を提出すると言っていることだ。
 その理由も議員の数を減らして経費を節減するため、というのだ。さらにどの様にするかといえば、比例代表を80減らすというのだ。
 消費税率を上げたくてうずうずしているとしても、これはひどい! 民意を適当にあしらって、思う方向に持っていこうという意図がありありである。
 おそろしい。

2010年6月4日(金)
国民的な運動の必要性

 このようなタイトルを書くと、すぐ動員だとか、結集だとか、はたまた自衛力を持つ必要だとかの論議が出てくる。
 5月末までと言っていた沖縄の基地問題は、結局なにも動かないまま、先延ばしになり、鳩山首相は政権を投げ出してしまった。またしても政権の交代である。
 このような事で、アメリカと云えども生命を投げ出して戦った兵士を出している以上、容易に基地を手放すはずがない。
 本当に首相がやる気なら、もっと早くから民主主義に訴えて、国民に協力を呼び掛けるべきだ。
 金銭問題など、これに比べれば小さいことだ。マスコミは、政局ばかりを取り上げて無茶苦茶にしているのである。
 真に今の日本の問題はなにか、世界の問題はなにかを、問題にしなければならない。
 何年かすれば、沖縄の基地が無くなるよう、現状から10年、20年とかの期限をきった交渉を進めるよう、新首相に望む。

2010年1月5日(火)
2010あけましておめでとう。

 とうとう1月5日になった。このまえの「ひとりごと」から、思いがけないくらい日が経ってしまった。
 この間に、いろいろのことがあったが、一番影響のあったことは、パソコンが参ってしまったことだ。立ち上がらなくなり、いままで入れていたDETAが出てこなくなったのだ。ちょうど、依頼されていたもう一つのプログを作っていたときだったので、一時はどうしょうかとおもった。やっとハードデスクからデーターを拾い出すことができたときは、やれやれとおもった。その間に、これだけの時間が経ったのである。
 万一に備えることの大切さを、パソコンから教わるとは、時代がかわっても、人間のやることは同じようなことだと判った。
 万一に備えるといえば、今頭一番の問題は沖縄の基地に対する処遇である。駐留なき安保は理想だが、今まで要求をサボってきた。これから、明確な期限をきって、駐留なき安保を求めたらどうか。もちろん、国民の一致した奮起が必要だがーー。

2009年9月19日(土)
HTV

 HTVといえば、ハイビジヨン テレビの事かと思っていたら、国際宇宙ステーションに物資を供給する宇宙船だとわかった。
 一週間ほどまえに日本から打ち上げられ、18日に国際宇宙ステーションに300メートル程の位置に相対的に静止し、それから約2〜3時間かけて10メートルまで接近して、ステーションからのアームに拾われてドッキングしたというのである。
 これで、また宇宙への未来が一つ拓けることになったことは喜ばしい。しかも日本の技術であり、高く評価されるものだ。
 総選挙があり、永く日本の政権を握ってきた自民党が野党になり、鳩山政権が誕生した。いろいろ問題も起きるだろうが、HTVのように微調整を行って、日本を安全に平和な方向に運転していかねばならない。  そのとっ掛かりをつかむことが出来たと思う。
 

2009年8月15日(土)
再び原爆に思う。

 今日は8月15日、敗戦の日である。
 だからと思うが、NHKの夜のTVで原爆に関する一般の人々をまじえたかなり突っ込んだ討論会があり、最後までみた。
 いろいろな意見がでたが、その中でこんご日本は核武装をすべきである、と言う人も数人いた。
 かなり信念のように国家の独立をいう人もいて、核兵器のもたらす大規模な破壊、悲惨さ、などあまり気にとめないような議論もきかれた。
 でも、そのために核による戦争の抑止効果ということを強調するあまり、もし日本が戦争していた当時,原爆を持っていたとしたら、広島、長崎には原爆は落とされなかっただろうという意見があった。
 はたしてそれで済むだろうか?若しその当時、日本が原爆を持っていたら、日本は確実に他国にそれを落としていただろうことは、容易に想像がつく。そうすれば、あの戦時中の強引な体制からして、日本人は、いや世界はもっと悲惨な境遇を続けなければならなっかったにちがいない。
 当時の日本の国家形態、権力体制の独善的、排他的、天皇崇拝の宗教的強制は、いま考えると馬鹿のように思えるが、本当のことだ。
 原爆を落とされることで、戦争を終えることが出来たのだ、と私は思っている。
 だから、日本も原爆を持って、戦争に対向すべきだ、という人に、では日本にそれを絶対に使わせない自信がありますか?と私は問いたいのである。

2009年8月5日(水)
原爆におもう

 ことしも、8月6日がめぐってきた。
 ことしは、オバマ大統領の「米国は核のない世界をめざす。」という演説によって、原爆禁止の運動にも新しい段階にはいった感があるが、私どもは、特に日本は、唯一の被爆国として、この運動を推し進めなければならない。
 8月3日の新聞には、広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の乗り組み員の発言が載っている。この内容は、従来と同様、「アメリカが原爆を日本に落とさなければ、より多くの犠牲者をだし、戦争は終わらなかった。」というものである。
 私はこの言葉を、以前から、当然のこととして、受けとってきた。大勢の原爆犠牲者に対して、不遜ではないかと思い、どちらともつかないいらいらした気分があり、発言しなかった。
 しかし、オバマ氏は、米国の「道義的責任」にも言及している。これを日本国民として共感し、擁護しない訳にはいかない。
 当時の日本の戦争責任者の意識は、最後の一人になるまで戦え、というものであった。マインドコントロールの夢から、正常な神経を取り戻すのに、大きな犠牲を払わねばならなっかったのだ。
 自虐と云われようとなんと云われようと、紛れも無い歴史として認識せざるを得ない。
 

2009年7月30日(木)
何がなんでも平和が一番

 やっと衆議院が解散になった。いままで、いろんな事があった。
 首相が三人も換わった。あきれてものも言えないほどだ.だから、といえば自己弁護になるが、前回4月6日付けから、大きくとんで、今日ははや7月30日になった。
 北朝鮮がミサイルを発射し、核実験を行った。もう、一生懸命になって国威の発揚を計つていた戦前の日本と同じような感じだ。将軍様を奉っているところもよく似ている。子供の火遊びと言っても近い所だけにやはり怖い。しかし、怖くても、忍耐をもって話し合いの方策を探って行くしかない。そのうちに、時間が解決するということもある。だから、日本も、核兵器だ、と言いたい人に、躍らされていては、取り返しのつかない事になる。
 何でも市場原理にまかせておけばうまくいくのだ、という自由経済主義は破綻した。ではどうしたらよいのか?これが問題だ。
 この問題の解決は、歴史として現実に現在まで人類は「戦争」を行って社会をリセットしてきた。と言えるとおもう。
 恐ろしいことだ。しかし、勇気をもって立ち上がらなければならない。「戦争をもって戦争に立ち向かうのではなく、忍耐と知恵で、平和を求めていく事が必要だ。」
 YES WE CAN

2009年4月6日(月)
朝、起きたら、

 年寄りは早起きである。
 今朝、5時のNHKを見たら、アメリカの大統領オバマさんが、「アメリカは核を使った唯一の国だ。今後は、核の廃絶に主導権をとる。」と云った、というのだ。
 すばらしいことだ! 今朝、早起きした甲斐があった。
 さすがはアメリカの指導者だ、このような指導者を選んだアメリカ国民を尊敬する。
 いろいろ曲折はあるだろうが、日本も全面的に応援して、この人類の叡業を完遂すべきだ。

2009年4月1日(水)
ほんねとたてまえ

 「本音と建前を適度に使いわけ、法律的な問題は、ほどほどのところで適度に運用してきたのが日本の実情だとおもう」と国会で述べたことのある野党第一党の党首の第一秘書が起訴されて、一週間をすぎた。
 なるほど、本音と建前をうまく使い分け、玉虫色で包みながらやりたい事をうまくやってきた政治屋の言うことだ。さすがに今回は、「企業献金は全面禁止だ」と云い始めた。それがどこまで本音だかわからない。政権をとるためだ、と云っている。政権をとる為に企業献金は全面禁止と云っているのか!
 北朝鮮がミサイルを打つという。打ち落とすつもりの鉄砲が配備された。そんなものでは落とせないだろうという声も聞こえてくる。「北朝鮮のすることなら衛星であっても国連決議違反だ」という日本政府のいうことは、どうも筋が通らない。勿論、頭の上にミサイルが落ちて来たらかなわないが、拉致問題憎しということで理性を失っていては、相手がいくらならずもの国家だとしても、問題が解決することはない。
 「虎口に入らずんば虎児を得ず」という諺もある。その決断は、大変つらっかたことに違いないが、孫に逢いにいってもよいと思われていた御家族に、「行くな」ととめた議員連盟を残念に思う。

2009年2月19日(木)
怒るというより、笑っちゃうよ。

 ただただあきれている、と小泉元首相は云ったが、いまごろ何を云っているんだ、とっくに私はそう思っている。おかげで格差は拡大し、泣いている人が沢山できた。今更、なにを云っているのか。
 2月15日に、私の家に、獅子舞が巡ってきた。珍しかったのでムービーにとった。
ホットした。

2009年1月31日(土)
定額給付金

 定額給付金をもらったら、俺は「かんぽの宿」を買おう。

2009年1月15日(木)
2009年

 今年も早や15日目になった。
 昨年から持ち越した社会問題は山積みになった儘である。
 アメリカ発の不況、円高、派遣切り、障害事件の多発、イスラエルのガザ侵攻、給付金の不定、など、数えればきりがない。
 そんななかで、この20日にはアメリカのオバマ大統領の就任式がある。世界は皆んなこれを待っているようだ。実際、アメリカにデシャバラレテモ困るけど、アメリカなしでは何も決まらないのである。今までのように、力ずくだけでなく、理の通る協調路線に転換しようとしているかのようだが、此れは少しホッとする。
 日本は過去の悪夢を懐かしがらず、世界の平和を求めて諸国の信頼を得るようにひたすら努めていくことが、なにより必要であると思う。

もどる

ひとりごと 2008年へ
ひとりごと 2007年へ